
一番、身体を張って作ったプロダクトだと言えるものができた。心から自信を持ってそう言えるのには訳がある。
まず、「生かされている」という日本語Tを作るアイディアはずっと温めていた。「東京」とか地名の入った日本語Tはここロサンゼルスでもよく見かけるし、The Weekndなどメジャーアーティストがこぞって日本語を取り入れた作品を作っている。そんな中で日本人の自分が作るのであれば、誰もチョイスしていない日本語を使いたかった。そんな中で、自分の気まぐれ日記をぱらぱらとめくっていたら見つけた日本語がそれだった。どうしてその時に「生かされている」と思ったかは書かれていなかったが、ぽつんと、でも力強く書かれていたことからして、当時の自分は強くそう思ったのだろう。そんな日本語Tは今までに見たことがないし、これをアメリカ人が着ているのをもし見かけたらかなりビビッとくる。そんな様子を想像してワクワクしたので、メッセージは決定した。
デザインを描き始めた頃の考えは、「地球に」生かされているというものだった。3年間高校留学していた、自然豊かなバージニア州の旅行から帰ってきた直後というのもあっただろう。とにかくこの地球なしには生きられないし、その中のちっぽけな存在が人間だと思ってイラストを書き上げた。
おや?と思った方。そう。まだここまでは身体を張っていない。ここから沢山の血を見ることになる。
ある日友達が家に遊びに来るということで、炊き込みご飯を作って待っていた。普段の自分ならそれだけで十分なのだが、やっぱりお客さんに一品じゃ申し訳ないし、かっこつけたいのでサラダを作ってみようと思った。友達が来て、「最近どう?」なんて余裕をかましながら切ったことのないアボカドを切る。種を取ろうとした瞬間、アボカドは手から滑り落ち、左薬指を包丁が直撃した。
ダサすぎる。アボカドって。厄年にかっこつけるから。
取れそうな左薬指をタオルで巻き、友達の運転で救急病院へ。痛すぎて記憶はおぼろげだが、10針を縫って病院を出たのは5時間後の深夜1時。全然、救「急」じゃない。めっちゃ待つ。でも友達は、文句どころか冗談や愚痴でずーっと気を紛らわせてくれた。その後薬局で必要なものを買って、深夜のマックにまで連れてってくれた。仏だ。ありがたすぎて後日靴をプレゼントしたが、いくらお礼を言ってもプレゼントをしても足りないと思う。
次の日の朝、痛みに痺れる指を見て猛烈に思った。「周りの人たちに」生かされているんだなと。
それから、今まで沢山の人たちからしてもらったことを思い出して、書き出さずにはいられなかった。初めての留学の時に出来た友達、15年来の親友、家族、ロスの友達、日本での職場の上司、街ですれ違った人。キリがなかった。
それらをこの作品に落とし込まなければ。かつ、これを見た人がその周りの人に感謝できるものであって欲しい。「参加型」であることは絶対に忘れたくない。

そこで行き着いた答えは、「純度100%で自分の感謝を表現する」ことだった。50の恵まれた瞬間を、その情景にフォーカスして書き出した。人の心を動かすものは、純度の高い真っ直ぐな表現だと思ったから。かっこつけたり、質問を繰り返すようでは人は考え出す事をしてくれないと思ったからだ。特に一つひとつが繋がっている訳ではないので、目についたところからその情景を覗いてみてほしい(その作品は、Tシャツのコードをスキャンすることで飲み見られます)。
もしこれを着ている人や、そんな人を見かけた人が、周りの誰かを想うきっかけをこのTシャツで作れたら最高だ。
というのを、まだ痺れる指で書き終えた。ほんと痛かったから、めっちゃ褒めて欲しい。